暮らしの教室特別教室111「ブラモキチ的茅ヶ崎の考古学」レポート

講師 富永富士雄(考古学研究者)

会場 熊澤酒造

日程 6/13 15:30-17:00

コロナ禍によって2回も延期になっていた暮らしの教室、考古学者富永富士雄さん「ブラモキチ的茅ヶ崎の考古学」の会が6月12日(日)に開かれました。


 茅ヶ崎の地形の不思議や考古学的意義をわかりやすく解説される富永さんのお話に思わず引き込まれ、古を旅するような時間が繰り広げられました。

まず富永さんはこの場所にちなんで、西暦873年の「酒が記載された古代木簡」の話をされました。これは茅ヶ崎で一番古い文書ということになるのですが、この木簡に仏教的な儀式である「放生会(ほうじょうえ)」に酒を寄贈する旨の記載があることが分かったのです。放生会は8月15日に行われる、当時としては国政に関わる催事です。これまでは京都などで行われていて関東ではその痕跡がなかったようなのですが、それがなんと茅ヶ崎で発見されました。そんな昔からさかんに酒造りが行われていたことも大きな発見のひとつです。
  「何故ここに造り酒屋が?」という疑問も、富永さんがひも解く考古学によって「だからここにかつて造り酒屋が沢山あったんだ。」という答えに変わっていきます。


 バラエティに富んだ地形を巧く利用した生活を営んでいた古代人ですが、稲作が始まるにつれて計画経済へと変わっていきます。村の格差が生まれ、戦争なども起こってきます。防御のための堀などの跡が発見されるようになります。そういった村を囲ったものを郡衙(ぐんが)と言いますが、その中でも大規模なものが「高座郡衙(たかくらぐんが)」です。高座郡衙は巨大な役所跡で、その中には正倉院に匹敵するほどの倉も含まれます。そこには豊かに実った米を初め、あらゆる物資が納められ、その一つにはお酒もあったのでしょう。また近くには、「七堂伽藍」という当時では最先端の建造物だったと思われる建物跡も発見されています。私たちがここで酒造りをすることの必然と、続けていく勇気を与えてくれるお話しに深く耳を傾ける時間でした。


 グラデーションに富む茅ヶ崎の地形。そこには古の昔から豊かな暮らしがあった…。あなたが立っているその丘は古の有力者の古墳かもしれず、山側に続く切り立った崖はかつては海岸線だったものがえぐれてできたラインなのかもしれないのです。そんなブラモキチ的茅ヶ崎散歩に、あなたも出かけてみませんか?そこには古代人達の囁きが聞こえてくるような発見が散りばめられています!

[暮らしの教室から 3つの質問]
■富永さんのターニングポイント
古墳を見たりすることが好きな少年時代からの夢であった、自然豊かな場所へ東京渋谷から移り住んだこと。

■幸せのモノサシ
「今現在」が一番幸せ。そのことを聞いてくれる人がいること。

■これから望む社会
文化財が大事にされるような社会。そうした活動をしてくれる方がたくさんいてくださると嬉しい。

PROFILE

富永富士雄(考古学研究者)元茅ヶ崎市教育委員会(文化財保護担当)

茅ヶ崎市職員として28歳で茅ヶ崎の土を踏み、35年以上にわたり遺跡の発掘に取り組んできた先達。ロマンと情熱あふれる語り口は、聞き手の脳裏に太古の景色を喚起させてくれます。

令和2年現在、寄付されて平成29年より公開が始まった市内・柳島の民俗資料館「旧藤間家住宅」の管理及び学芸的業務に嘱託として勤務し、見学者の皆さんに説明をしている。

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